私とRC飛行機の出会い
私にとっての最初のRC飛行機は京商 セスナスカイレーンでした。
私が中学生だった頃、ラジコンカーを細々とやっていましたが、ある時父親がひょんなきっかけで「飛行機だったら買ってやる。飛行機やる気はないか?」と聞かれ、そのときは大して興味も無かったのですが、(本当は当時流行っていたヨコモのラジコンカーが欲しかった)買ってくれるんなら・・・ということで模型屋さんに行き、お店の人に相談しフルセット買って貰い、父親と共に作り、飛ばしに行きました。その後はご想像の通り、3秒で墜落。原因はエレベーターアップにしたつもりでも機体はダウンになっていたのでした。その時エレベーターアップというのはスティックを手前に引くもんだとはじめて知りました。その後049エンジンの始動に手こずったり、土手からグライドテストしただけで粉々になってしまったりして・・・。次の機体へと何故か父親が私を引っ張って行きました。その後ラッキー10やヨシオカオンエアー等々試しましたが、どこかにスピードの遅い機体は無いんだろうか?と 毎度毎度の墜落・修理の日々を過ごしていました。
ちょうどそのころ、ラジコン技術誌に「軽ラジコン機入門」という本があり、父親が買って私も読んでみると、私達が探していたような機体の事が書いてありました。そして、現在もそうですが、ラジコンは必ず指導者のもとでやらなくてはいけないみたいな事に反して「ひとりで単独離着陸ができる」という点もググっときたのです。早速ビデオも購入し見てみるとメガネのおじいちゃん(失礼)が短パンを履いて公園のような場所であずまやくぐりをしていました。(もはやこれは伝説ですね)コレを見て父は購入を決意。
プレイリー号とエンヤ09エンジンを買ったのでした。これは後から聞いたのですが、父はこの時期までタバコも辞め、家でしか酒も飲まず、日中もジュースを飲まず、小遣いを全く貰っていなかったそうです。
父と子のつながりとして、半分自分の趣味であの母を説き伏せていたのかと思うと頭が下がります。
プレイリー号は初飛行で30秒ほど飛んだでしょうか。上昇しきる前に旋回させてしまったせいで、また墜落。しかし、今度はグライドテストだけでも楽しめたので、修理を繰り返す内にだんだんとコツがつかめてきました。それを見て父はこっそりモスキートモスを買って作り始めていました。
この頃からプレイリー号を自転車の荷台に積んで、早朝フライトに一人で出かける日が多くなりました。
工作は好きでも不器用な私。こんな私でも組み立てられて修理もできたプレイリー号は素晴らしいと思いました。そして私は実機ではなく、自分で作って飛ばすラジコン飛行機の姿が大好きです。
たぶんプレイリー号が無かったら操縦なんて覚えられなかったと思います。
その後高校を卒業し、就職。住所が変わり、趣味も変わり、ラジコン飛行機とはずいぶんと離れてしまいました。時は経ち、2005年秋 インターネットをしていて、「そういやラジコン飛行機って最近どうなのかな?」と思い検索してみると「RC飛行機実験工房」というサイトが見つかりました。EPPだのブラシレスだの聞いたことのない言葉がページにあふれていて、なんだか複雑だなぁと思っていた矢先、sekiaiさんのサザンクロスUのビデオを見てしまいました。そのときの驚きと言ったら・・・・・。
ガシガシ墜落しても全く壊れないどころか、そのままひょいと持ち上げてまた飛ばしています。しかもローリングサークルやトルクロールなどなど今まで知らなかった世界がそこには有りました。「まさか、俺には無理だろう・・」とその時は思いましたが、数ヶ月後、私の手元には何故かカーデンエアクラフトのムルシエラゴとフタバの6EXと見慣れないリチウムポリマー電池という物が有ったのです。まったく運命というものは恐ろしいものです。そしてひと月後には新たにコブラF3Oという機体が!また、最初2本だったリポも6本に増え、おまけにフルオプションのミニッツレーサーまで手元にありました。10代の頃の私だったらまるで夢のようだと思うでしょうが、現在の私は妻も子供も有る身です。妻にはラジコンのことなどひとつも話さないまま結婚しちゃったため、妻からは契約違反だ!みたいな顔をされつつ、なんとか暖かく見守って貰っています。2005年冬〜2006年春まではとにかく毎朝飛ばしに行きました。特にこのシーズンは積雪が酷く、極寒でしたので、最高でマイナス15度の中、手袋2枚重ねで鼻水を垂らしつつプロポを持っていたこともありました。
その後またまた「RC飛行機実験工房」を覗いていると、今度はSALというのが気になり、SALについて色々と検索した結果、「きむらクラフト」さんの自作機体を参考に「自作してみよう」と思ったのです。
不器用ながらもまずスチロールカッターを作り、何個も失敗作を作った後に2週間後、ようやく主翼とおぼしき物が(コアですが)出来ました。プランク材をカットし、カーボンロービングを載せて樹脂+マイクロバルーンを塗っていざプランク。3時間後様子を見に工作室へ行ってみるとなんじゃあこりゃあ!!!スチロールコアがべろべろに溶けていました。アタマをフル回転して考えた結果、私はエポキシ樹脂でなくポリエステル樹脂をスチロールに塗っていたことに気付いたのです。ラジコン人生で初めて泣きました。妻に慰められるほど泣いてしまいました。しかし、ここで投げ出しては男がすたると思い、また一念発起!幾度もの失敗でコツがつかめたスチロールカットもうまくいき、その後FRPで胴体も作り、4ヶ月かかってようやく自作SAL機が出来ました。初飛行は本当に涙が出るほど感動し、すっかり自作の味をしめてしまった私は、SAL機以外にもEPP機の自作(贋作)を始めるようになり、現在に至ります。
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